侍の国、日本の誇りを取り戻す 移民問題と愛国心
2025/03/25
侍の国、日本の誇りを取り戻す
移民問題と愛国心
川口駅をご通行の皆様、
大変大きなマイクで
失礼いたします
また、インターネットで
これをご覧になる方も
よろしくお願いいたします
私どもは、
一般社団法人 武士道、
私は
代表を務めております
与国秀行と申します
しばらくの間、
高いところから大きな音量で失礼いたします
「なんて格好して 話をしているんだ」と
思うかもしれません
それは今日、
私たち一般社団法人武士道が
巻き藁を日本刀で斬るという
居合の稽古を行っておりまして、
その合間での
街宣活動ということもありまして、
こうした袴姿で
お話をさせていただいております
日本人の「民族衣装」とも
言ってもよいかも しれません
多くの方が 日本人としての 服装、
すなわち和服ということを
忘れている方も いらっしゃることでしょう
しかしながら、
今こそ 日本人としての伝統 文化、
そして 誇りを
取り戻さなければならない、
そうした時代にあると
言えると 思います
それこそ、今、
東京霞ヶ関の財務省前では
「財務省解体デモ」
というものが行われている
それを話に聞いて、
一体何が行 われているのか、
多くの日本国民が
分かって いらっしゃらない
なぜわからないのか
それは 多くの日本人が
日本を きちんと正しく
愛していないからでは ないでしょうか
日本を愛するということ
これを 忘れ去って久しい
現代日本人と 言えるでしょう
愛していれば、好きであれば、
関心が あって
知識が増えていきます
例えば、両親の 誕生日
誰もが 知っているはずです
お子さんの誕生日
誰もが 答えられることでしょう
なぜか、
愛しているから、好きだから、
関心があるから、
彼氏の、彼女の誕生日、
誰もが答えられる
では、 日本の誕生日、
日本の年齢を 答えられる 日本人が今
どれだけいるでしょうか
日本の建国記念日2月11日
令和七年の今年をもって
2685年となりました
これは
世界最古の古さです
中国四千年の歴史といっても、
その四千年の歴史の中で
何度も何度も
国が変わってきた
しかし、一国としての 歴史は
世界で 最も 古い国、それが
皆様が住んでいる日本という国です
そして、日本という国は、
本当は 日本人が持っているよりも
もっともっと、本当は素晴らしい 国です
しかし、先の戦争に 敗れ、
歴史というものは勝者が書くから、
全て日本が 悪いことにされてしまい、
日本人としての誇りを失い、
誇りを失うことにより、日本人
日本が あまり好きじゃなくなってしまい、
そして 関心が薄くなっている、
こういう 事実があります
かつての明治維新の頃、
西郷隆盛という方は
西洋文明に対して はっきりと
「野蛮である」と言いました
なぜ西郷隆盛は西洋文化を見て
「野蛮だ」だと言ったのか
フォークとナイフを使うことをもって
「文明」とは 人間は言わないからです
しかし、かつての白人たちは
肌が白いことをもって“人間”と考え、
有色人種を 貧しい後進国を
侵略し尽くしていた
もしも
西洋文明、 西洋国家が
文明国であるならば、
慈愛の心を持って後進国、
アジア、アフリカ、 そういう国々を
導くべきであるというのに
しかしヨーロッパ、 欧米諸国は それをせず、
侵略し、 虐殺し、 搾取している
これを以って かつて西郷隆盛という方は、
「欧米は野蛮である」と言った
という話があります
西洋の方々の中にも
その過去の侵略の歴史を
反省されている方もいらっしゃいますけれども、
その 人種差別と
東洋人に対する
アフリカ人に対する 差別と
唯一抗えることができた国
対等に肩を並べることができた国、それが
皆様が生きている「侍の国」日本です
この歴史を 忘れないでいただきたいと
思うんです そして
日本人に侍精神を 授けていたものが
武士道というものであり、
そして
武士道を歩む侍たちは、
かつて「武芸十八般」
武道というものを 行っておりました
武道と格闘技、一体何が違うか
それは
武道は 心・技・体
「心」をまず一番最初に大切にし、
次に技、
そして
体を鍛える、鍛錬するということ
「心」こそを大切にしたのが 本来の武道であり、
ここが格闘技と 一番
違うところであると言えるでしょう
武道は“心”を大切に した、そして
心を大切にするということは、
己の立身出世のために、
富や名誉のために戦うのではなくて
武道というものは
平和のために、 体を鍛え、
技を鍛え、
心を磨いて、
そして
世のため、人のために
戦うのが 武道です
己のためじゃない、
他者のため、
天下国家のために、
平和のために、
警察官が持っている拳銃と
ヤクザが持っている拳銃の意味が
全く 異なるように、
平和のために 自らを鍛えていく、
「心・技・体」を大切にする、それが
日本人が 完全に忘れている
武道というものと言えるでしょう
そして
武道の中でも
かつての侍 たちは道場において「禅」を行いました
正座をし、 自らの心を見つめ、
自らの心の中にある
塵、垢を落としていく“座禅”というものを行い、
自らの心を清めていくということを
正していくということを 行っていたのが、
かつての侍たちです
自らの心の中にある妬み心、
人を羨む心、
愚痴や不平不満、
憎しみとか、
未来に対する取り越し苦労とか、
過去に対する持ち越し苦労とか、
そういうものを拭い去っていくということを
道場の中で行 っていたのが
かつての 侍たちであり、
かつての日本人は
確かに 確かに
“心”というものを大切にしておりました
「心を大切にする」という言葉を聞いて、
多くの人がこの言葉を新鮮に聞こえてしまう
悲しき心貧しい時代と なりましたけれども、
それは言葉を変えれば、
「魂を大切にする」という言葉にも
置き換え られるでしょう
かつての侍たちは、
自らの 心・技・体の中、
自らの魂を磨いていました
魂を磨き上げていました
その中で
最も侍たちがやらねばならなかったこと
それは
「死の恐怖を乗り越えていく」ということ
そして
仏教の中には「愛別離苦」という
「愛する者と別れる悲しみ」という
「苦しみ」というものがありますが、
かつての侍たちというのは、
“死の恐怖”を克服するとともに、
“愛別離苦”
自らがたとえ戦いの中で命果てていこうとも、
愛する者と別れることになろうとも、
その“愛別離苦”という苦しみをも乗り越え、
戦うということを 大切にしていました
時代は今も侍が求められております
この川口にも
多くの多くの中国の方々が移り住んできている
北海道、沖縄も中国の方々が
土地を買い漁っている
中国では
自国の土地を買うことはできないけど、
日本の土地は買うことができるから、
どんどんどんどん買われている
そして自民党は
中国の方々に対するビザの規制の緩和を緩め、
どんどんどんどん
日本が日本でなくなりつつある
根本において、仏教においては、
魂は皆、尊く、
すべての人間が
生きとし生ける者が皆、
尊い存在であると考えるのが
武士道を作っている仏教です
すべての人が 尊い存在であり、
皆、平等に尊い
仏と同じ性質、“仏性”を持っている
と考えるのが仏教です
そしてその中において、
“転生輪廻”という生まれ変わりの中において、
ある者は魂を磨き上げ、
徳高い人物となっていくが、
ある者は努力せず、堕落してしまう
そういう意味において、
魂にはまた輝きの違いがあると考える
全ての皆が、 ものが平等に尊い存在であっても、
輝き方に違いがある、
こういうことを仏教は教えておりますけれども、
こうした観点から考えた時に、
中国の方々の中にも
素晴らしい方はいらっしゃるでしょう
日本も方々の中にも
みすぼらしい心の人はいるかもしれません
しかし、
こうした「魂」ということを 考えずしても、
人を差別するんではなく、
差別するのではなく、
肌の色とか、民族とか、
そういうもので差別するのではなく、
ある一定の政治的な区別を持っていなければ
国は滅びます
「外国人に参政権を与えよう」
と言っている人たちもいる
中国の人たちが土地を買っている
中国の人たちが増えている
それで外国人の参政権を与えたら、
日本は滅びます
今日は、土曜日の
学校の休みのところも多く
親子で買い物をしている方も
いらっしゃるでしょう
親子で出かけて遊んで、楽しんでいる方も
いらっしゃるでしょう
しかしながら、
子を愛するのであるならば、
国のことも愛さなければなりません
仕事に追われ、家事に追われ
「国のことまでは考えられない」
と言うかもしれませんが、
国を愛するからこそ、 国が繁栄していく
国が繁栄していくからこそ、
愛する我が子の未来も、また
より素晴らしいものになっていく
国のことを愛さず、
国のことを考えず、
国がこれ以上、衰退すれば
子どもを愛していても、子どもが大人になった時に
素晴らしい人生を過ごすことが困難です
そして、実際にそうなっている
小学生でも、自殺の数を更新中です
日本の若者の死因の第1位は自殺です
皆様が子を愛して、
子どもが大人になって、若者になって
その子が自殺したら、
その責任は大人にあると
言えるのではありませんか
今、
大学でも女子大生たちが
体を売って学費を稼いでおります
若い子たちがそんなことをやっています
私も今年で49歳ですが、
その責任は、
私たち日本の全ての大人に、
「こういう時代を作ってしまった」
ということにおいて、
その責任は我々にあるということを
認めなければなりません
自分の過ちを、
「こんな時代を作ってしまった」という
過ちを認めなければならないはずなんです
この川口も、隣の蕨市も、外国人が増え、
移民政策が進められています
こういう時代の中において、
今も、昔も同じです
今もまだ世界は
戦国時代を脱しきれていない
こういう中において、
大人としての責務として、
責任として、
“国の未来を考える”ということは、
一つの人間としての
民主国家に生きる者の“義務”です
選挙に行くか行かないかは“権利”でしょう
しかしながら、人間には
幸せになる義務がある
その義務を果たさんとする時に
努力精進し、
自らが 幸せな人生をいきんとする時に、
国の未来を考えるということは、
幸せになる義務の一つであるということを、
幸せになりたいんであるならば、
「日本の繁栄を考える」ということを、
それは“幸せを求める人間の一つの義務”であると
私は思います
そして、その義務を果たさんとして、
かつての先人たちが
戦い、今という時代を作ったのです
だからこそ、私たちが今度はまた
時代を作らねばなりません
それぞれ、 仕事が忙しいから、
家庭が忙しいから、育児が忙しいから、
様々な理由はあるでしょう
しかし、
それでも言います
皆さんが大切な
忙しくて
大切にしているものがあって、
なかなか“国の未来”にまで
“政治”まで頭が関心が及ばないと
言うかもしれませんが、
それでも
言わねばなりません
我々日本の大人は、
もう言い訳はやめればならないと
人間は時に自らの弱さから
言い訳の天才となる
言い訳の発明家となる
今日やらない理由、
今日努力しない理由、
今日行動しない理由
その言い訳を何でも作ることができる
「子供が、家事が、 仕事が、 体が、体調が・・・」
そうではないはずです
本当はできるはずなんです
こうしたことを考えて、
私たちは、かつての維新志士たちが
精神的に脱藩をしたように、
「自分の藩を捨てる」ということは、
死罪にも対するけれども、
“死の恐怖”を乗り越え、
“愛別離苦”
愛する者と別れる悲しみ、苦しみを乗り越えて、
天下国家のために
かつての侍たちが戦ったように
現代の日本人にも
「精神的な意味での脱藩が必要である」
と言えると思います
そして、
こうした
精神的な脱藩を遂げて生きていくからこそ、
「命を完全燃焼できる」ということを
知っていただきたいんです
若い方々、
あるいは 年を召された方も、
いろんな方が今、日本で耐えている、
忍耐している、
そして
いろいろな 暮らしに追われ、生活に追われながら
忍耐を続けながら、
「いつか豊かになるんじゃないか、
いつかまた不景気が終わるんじゃないか」と
なりません
日本人が努力しない限り、
どんどんどんどん日本は衰退していきます
そういう政治が行われています
だから
精神的脱藩をして、国のことを考えない限り、
私たち日本人は殺されてしまう
日本はなくなってしまう
だから命を完全燃焼させていただきたいんです
命を完全燃焼させるということは、
自分のこと、自分の身の回りに人のことだけを
考えて生きるんではなくて、
同時代に生きる
北海道から沖縄までの
日本人を考えるとともに、
地球のまた平和、
天下国家を考えていく
こうしたことを考え、行動する
そこに
命を完全燃焼させるということが
あるのではありませんか
欲望のために生きて、世界征服を狙う人間も、
ヒトラーのような人間も、情熱に燃えていた
しかし、その情熱はただの欲望である
しかしながら、天下国家を考えて行動する、これは
“愛の心”、武士道的に言えば 「仁」
仁義の「仁」の心を、
「仁」の心に基づいて、
天下国家のために戦う、
これこそが
命を完全燃焼させるということだと
私は思います
どうか 、日々の暮らしに
忍耐することだけをやめて、
自らの命を完全燃焼させ尽くしてください
それが
真の意味において
“人生に勝利する”ということです
立身出世をするとか、
有名になるとか、
そんなものが“人生の勝利”じゃない
“真の人生の勝利”とは、
自ら命を完全燃焼し尽くすことであり、それは
仁の心から
日本の未来や世界の未来を
真剣に真剣に考え、
そして知識を集め
関心を持って知識を集め、
行動していくことだと思います
それが日本人にできないのであるならば、
私たちは、このまま
殺されていくしかないでしょう
そうならないためにも
これからもいろいろな街で
叫んでいきたいと思います
高いところから 大きな音量で失礼いたしました
大変大きなマイクで
失礼いたします
また、インターネットで
これをご覧になる方も
よろしくお願いいたします
私どもは、
一般社団法人 武士道、
私は
代表を務めております
与国秀行と申します
しばらくの間、
高いところから大きな音量で失礼いたします
「なんて格好して 話をしているんだ」と
思うかもしれません
それは今日、
私たち一般社団法人武士道が
巻き藁を日本刀で斬るという
居合の稽古を行っておりまして、
その合間での
街宣活動ということもありまして、
こうした袴姿で
お話をさせていただいております
日本人の「民族衣装」とも
言ってもよいかも しれません
多くの方が 日本人としての 服装、
すなわち和服ということを
忘れている方も いらっしゃることでしょう
しかしながら、
今こそ 日本人としての伝統 文化、
そして 誇りを
取り戻さなければならない、
そうした時代にあると
言えると 思います
それこそ、今、
東京霞ヶ関の財務省前では
「財務省解体デモ」
というものが行われている
それを話に聞いて、
一体何が行 われているのか、
多くの日本国民が
分かって いらっしゃらない
なぜわからないのか
それは 多くの日本人が
日本を きちんと正しく
愛していないからでは ないでしょうか
日本を愛するということ
これを 忘れ去って久しい
現代日本人と 言えるでしょう
愛していれば、好きであれば、
関心が あって
知識が増えていきます
例えば、両親の 誕生日
誰もが 知っているはずです
お子さんの誕生日
誰もが 答えられることでしょう
なぜか、
愛しているから、好きだから、
関心があるから、
彼氏の、彼女の誕生日、
誰もが答えられる
では、 日本の誕生日、
日本の年齢を 答えられる 日本人が今
どれだけいるでしょうか
日本の建国記念日2月11日
令和七年の今年をもって
2685年となりました
これは
世界最古の古さです
中国四千年の歴史といっても、
その四千年の歴史の中で
何度も何度も
国が変わってきた
しかし、一国としての 歴史は
世界で 最も 古い国、それが
皆様が住んでいる日本という国です
そして、日本という国は、
本当は 日本人が持っているよりも
もっともっと、本当は素晴らしい 国です
しかし、先の戦争に 敗れ、
歴史というものは勝者が書くから、
全て日本が 悪いことにされてしまい、
日本人としての誇りを失い、
誇りを失うことにより、日本人
日本が あまり好きじゃなくなってしまい、
そして 関心が薄くなっている、
こういう 事実があります
かつての明治維新の頃、
西郷隆盛という方は
西洋文明に対して はっきりと
「野蛮である」と言いました
なぜ西郷隆盛は西洋文化を見て
「野蛮だ」だと言ったのか
フォークとナイフを使うことをもって
「文明」とは 人間は言わないからです
しかし、かつての白人たちは
肌が白いことをもって“人間”と考え、
有色人種を 貧しい後進国を
侵略し尽くしていた
もしも
西洋文明、 西洋国家が
文明国であるならば、
慈愛の心を持って後進国、
アジア、アフリカ、 そういう国々を
導くべきであるというのに
しかしヨーロッパ、 欧米諸国は それをせず、
侵略し、 虐殺し、 搾取している
これを以って かつて西郷隆盛という方は、
「欧米は野蛮である」と言った
という話があります
西洋の方々の中にも
その過去の侵略の歴史を
反省されている方もいらっしゃいますけれども、
その 人種差別と
東洋人に対する
アフリカ人に対する 差別と
唯一抗えることができた国
対等に肩を並べることができた国、それが
皆様が生きている「侍の国」日本です
この歴史を 忘れないでいただきたいと
思うんです そして
日本人に侍精神を 授けていたものが
武士道というものであり、
そして
武士道を歩む侍たちは、
かつて「武芸十八般」
武道というものを 行っておりました
武道と格闘技、一体何が違うか
それは
武道は 心・技・体
「心」をまず一番最初に大切にし、
次に技、
そして
体を鍛える、鍛錬するということ
「心」こそを大切にしたのが 本来の武道であり、
ここが格闘技と 一番
違うところであると言えるでしょう
武道は“心”を大切に した、そして
心を大切にするということは、
己の立身出世のために、
富や名誉のために戦うのではなくて
武道というものは
平和のために、 体を鍛え、
技を鍛え、
心を磨いて、
そして
世のため、人のために
戦うのが 武道です
己のためじゃない、
他者のため、
天下国家のために、
平和のために、
警察官が持っている拳銃と
ヤクザが持っている拳銃の意味が
全く 異なるように、
平和のために 自らを鍛えていく、
「心・技・体」を大切にする、それが
日本人が 完全に忘れている
武道というものと言えるでしょう
そして
武道の中でも
かつての侍 たちは道場において「禅」を行いました
正座をし、 自らの心を見つめ、
自らの心の中にある
塵、垢を落としていく“座禅”というものを行い、
自らの心を清めていくということを
正していくということを 行っていたのが、
かつての侍たちです
自らの心の中にある妬み心、
人を羨む心、
愚痴や不平不満、
憎しみとか、
未来に対する取り越し苦労とか、
過去に対する持ち越し苦労とか、
そういうものを拭い去っていくということを
道場の中で行 っていたのが
かつての 侍たちであり、
かつての日本人は
確かに 確かに
“心”というものを大切にしておりました
「心を大切にする」という言葉を聞いて、
多くの人がこの言葉を新鮮に聞こえてしまう
悲しき心貧しい時代と なりましたけれども、
それは言葉を変えれば、
「魂を大切にする」という言葉にも
置き換え られるでしょう
かつての侍たちは、
自らの 心・技・体の中、
自らの魂を磨いていました
魂を磨き上げていました
その中で
最も侍たちがやらねばならなかったこと
それは
「死の恐怖を乗り越えていく」ということ
そして
仏教の中には「愛別離苦」という
「愛する者と別れる悲しみ」という
「苦しみ」というものがありますが、
かつての侍たちというのは、
“死の恐怖”を克服するとともに、
“愛別離苦”
自らがたとえ戦いの中で命果てていこうとも、
愛する者と別れることになろうとも、
その“愛別離苦”という苦しみをも乗り越え、
戦うということを 大切にしていました
時代は今も侍が求められております
この川口にも
多くの多くの中国の方々が移り住んできている
北海道、沖縄も中国の方々が
土地を買い漁っている
中国では
自国の土地を買うことはできないけど、
日本の土地は買うことができるから、
どんどんどんどん買われている
そして自民党は
中国の方々に対するビザの規制の緩和を緩め、
どんどんどんどん
日本が日本でなくなりつつある
根本において、仏教においては、
魂は皆、尊く、
すべての人間が
生きとし生ける者が皆、
尊い存在であると考えるのが
武士道を作っている仏教です
すべての人が 尊い存在であり、
皆、平等に尊い
仏と同じ性質、“仏性”を持っている
と考えるのが仏教です
そしてその中において、
“転生輪廻”という生まれ変わりの中において、
ある者は魂を磨き上げ、
徳高い人物となっていくが、
ある者は努力せず、堕落してしまう
そういう意味において、
魂にはまた輝きの違いがあると考える
全ての皆が、 ものが平等に尊い存在であっても、
輝き方に違いがある、
こういうことを仏教は教えておりますけれども、
こうした観点から考えた時に、
中国の方々の中にも
素晴らしい方はいらっしゃるでしょう
日本も方々の中にも
みすぼらしい心の人はいるかもしれません
しかし、
こうした「魂」ということを 考えずしても、
人を差別するんではなく、
差別するのではなく、
肌の色とか、民族とか、
そういうもので差別するのではなく、
ある一定の政治的な区別を持っていなければ
国は滅びます
「外国人に参政権を与えよう」
と言っている人たちもいる
中国の人たちが土地を買っている
中国の人たちが増えている
それで外国人の参政権を与えたら、
日本は滅びます
今日は、土曜日の
学校の休みのところも多く
親子で買い物をしている方も
いらっしゃるでしょう
親子で出かけて遊んで、楽しんでいる方も
いらっしゃるでしょう
しかしながら、
子を愛するのであるならば、
国のことも愛さなければなりません
仕事に追われ、家事に追われ
「国のことまでは考えられない」
と言うかもしれませんが、
国を愛するからこそ、 国が繁栄していく
国が繁栄していくからこそ、
愛する我が子の未来も、また
より素晴らしいものになっていく
国のことを愛さず、
国のことを考えず、
国がこれ以上、衰退すれば
子どもを愛していても、子どもが大人になった時に
素晴らしい人生を過ごすことが困難です
そして、実際にそうなっている
小学生でも、自殺の数を更新中です
日本の若者の死因の第1位は自殺です
皆様が子を愛して、
子どもが大人になって、若者になって
その子が自殺したら、
その責任は大人にあると
言えるのではありませんか
今、
大学でも女子大生たちが
体を売って学費を稼いでおります
若い子たちがそんなことをやっています
私も今年で49歳ですが、
その責任は、
私たち日本の全ての大人に、
「こういう時代を作ってしまった」
ということにおいて、
その責任は我々にあるということを
認めなければなりません
自分の過ちを、
「こんな時代を作ってしまった」という
過ちを認めなければならないはずなんです
この川口も、隣の蕨市も、外国人が増え、
移民政策が進められています
こういう時代の中において、
今も、昔も同じです
今もまだ世界は
戦国時代を脱しきれていない
こういう中において、
大人としての責務として、
責任として、
“国の未来を考える”ということは、
一つの人間としての
民主国家に生きる者の“義務”です
選挙に行くか行かないかは“権利”でしょう
しかしながら、人間には
幸せになる義務がある
その義務を果たさんとする時に
努力精進し、
自らが 幸せな人生をいきんとする時に、
国の未来を考えるということは、
幸せになる義務の一つであるということを、
幸せになりたいんであるならば、
「日本の繁栄を考える」ということを、
それは“幸せを求める人間の一つの義務”であると
私は思います
そして、その義務を果たさんとして、
かつての先人たちが
戦い、今という時代を作ったのです
だからこそ、私たちが今度はまた
時代を作らねばなりません
それぞれ、 仕事が忙しいから、
家庭が忙しいから、育児が忙しいから、
様々な理由はあるでしょう
しかし、
それでも言います
皆さんが大切な
忙しくて
大切にしているものがあって、
なかなか“国の未来”にまで
“政治”まで頭が関心が及ばないと
言うかもしれませんが、
それでも
言わねばなりません
我々日本の大人は、
もう言い訳はやめればならないと
人間は時に自らの弱さから
言い訳の天才となる
言い訳の発明家となる
今日やらない理由、
今日努力しない理由、
今日行動しない理由
その言い訳を何でも作ることができる
「子供が、家事が、 仕事が、 体が、体調が・・・」
そうではないはずです
本当はできるはずなんです
こうしたことを考えて、
私たちは、かつての維新志士たちが
精神的に脱藩をしたように、
「自分の藩を捨てる」ということは、
死罪にも対するけれども、
“死の恐怖”を乗り越え、
“愛別離苦”
愛する者と別れる悲しみ、苦しみを乗り越えて、
天下国家のために
かつての侍たちが戦ったように
現代の日本人にも
「精神的な意味での脱藩が必要である」
と言えると思います
そして、
こうした
精神的な脱藩を遂げて生きていくからこそ、
「命を完全燃焼できる」ということを
知っていただきたいんです
若い方々、
あるいは 年を召された方も、
いろんな方が今、日本で耐えている、
忍耐している、
そして
いろいろな 暮らしに追われ、生活に追われながら
忍耐を続けながら、
「いつか豊かになるんじゃないか、
いつかまた不景気が終わるんじゃないか」と
なりません
日本人が努力しない限り、
どんどんどんどん日本は衰退していきます
そういう政治が行われています
だから
精神的脱藩をして、国のことを考えない限り、
私たち日本人は殺されてしまう
日本はなくなってしまう
だから命を完全燃焼させていただきたいんです
命を完全燃焼させるということは、
自分のこと、自分の身の回りに人のことだけを
考えて生きるんではなくて、
同時代に生きる
北海道から沖縄までの
日本人を考えるとともに、
地球のまた平和、
天下国家を考えていく
こうしたことを考え、行動する
そこに
命を完全燃焼させるということが
あるのではありませんか
欲望のために生きて、世界征服を狙う人間も、
ヒトラーのような人間も、情熱に燃えていた
しかし、その情熱はただの欲望である
しかしながら、天下国家を考えて行動する、これは
“愛の心”、武士道的に言えば 「仁」
仁義の「仁」の心を、
「仁」の心に基づいて、
天下国家のために戦う、
これこそが
命を完全燃焼させるということだと
私は思います
どうか 、日々の暮らしに
忍耐することだけをやめて、
自らの命を完全燃焼させ尽くしてください
それが
真の意味において
“人生に勝利する”ということです
立身出世をするとか、
有名になるとか、
そんなものが“人生の勝利”じゃない
“真の人生の勝利”とは、
自ら命を完全燃焼し尽くすことであり、それは
仁の心から
日本の未来や世界の未来を
真剣に真剣に考え、
そして知識を集め
関心を持って知識を集め、
行動していくことだと思います
それが日本人にできないのであるならば、
私たちは、このまま
殺されていくしかないでしょう
そうならないためにも
これからもいろいろな街で
叫んでいきたいと思います
高いところから 大きな音量で失礼いたしました